思ったことをとどめていくために
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プロフィールとか
HN:カーフィ
この春から大学生になりました。関西のほうに住むことになりました。どうぞよろしく。 マイペースで日々感じた事なんかをつづっていきます。 気楽にコメントなんかどうぞ。 なお宣伝など、不適当と考えられるものは即削除させていただきます。(当たり前ですが) 連絡とかは↓までどうぞ seseragimigi@excite.co.jp @は全角になってます。ご注意ください。 半角に直してください メールアドレスを知られたくない、でもメッセージを送りたい場合などは↓のをどうぞ。 *は必須項目です。
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確かに目的なくしては、一定方向に歩けない。
飢餓に陥ったりして、還る所がなくなってしまったときに進み続けるときは、目的がある。たとえ、それが確かなものでなくても。求めているものがあるから。 それでは、人生に本当に目的は必要ですか?生きている間にある程度定まった方向に向かって進む必要はありますか? 僕はそう思わない。別に進む方向は一定方向である必要はない。いろいろな方面に歩いてみる。そして顔を出してみる。そして面白くなかったら方向を変えればいい。進む方向なんて生まれたときから決まっているものなんかじゃない。自分で決めるんだ。だから、同じ、決まった方向に進む必要はない。そういった意味で人生の目的なんてはかないものだ。そんなものは存在しないんだ。 目的を定めてしまったら・・・それが唯一ならば・・・その方向に進めなくなってしまったときどうするの?それで終わりですか? 唯一だと思うから、苦しくなる。ほかにも道はあるはずなのに。それが見えなくなってしまっているから、行き詰ったとき、自分の存在理由を見失ってしまう。 別に目的なくして、生きている人たちは大勢いる。今、目的なく生きているからといって、これから先も目的なく生きているだろう、という考えは大間違い。いつか見つかるかもしれない。今、目的があるからといって、これから先もずっと目的を持っているとは限らない。常にその存在は遷り変わる。 目的がいらない、といっているわけではない。ただ人生における唯一の目的なんてない、と言いたい。あるとしたら、それは「死」ではないでしょうか? PR
すべては幻想に始まり、幻想で終わる。
この世に確かなことは唯一つしかない。 それは自分自身、今、この瞬間、意識として、感覚として存在している自分のみ。 誰かと何かを共有することなんて絶対できない。できたとすれば、そのものと「自分」は一心同体。 やっぱりそんなことはありえない。 分かり合えるというのは幻想。お互いに考えていることが完全に一致することなんてありえない。 分かっているんだろ?それくらいのことは。 分からない、なんて言わせない。 土台が違うのだから、同じ物は生まれない。 同じに見えるのは、表面だけ。 やっぱり一人で向き合うしかないんだ。
孤独なのはなぜ?
それは一人を好むから。 いや、実際は会う人がいないから? 現実から逃げてるだけなのかも。 本当は、もっと違うことがしたいのに・・・思っていることと違うことをしてしまう。いろいろ考えていると一人でいる時間がただただ過ぎていく。無意味に・・・何の発展もなく・・・。 会おうとしないから。 誰かと会うこともない。 あの人は今どうしているのだろう?そんなことを考えていても一人の時間は過ぎていく。別にさびしいわけじゃない。 本当に・・・ただ無意味な時間が過ぎていく。 生きている意味って何なのでしょう? 生きていても意味がないんじゃないかって思ったことないですか? そんなこと考えなくてもいいのに。 意味があると思うから行き詰るんじゃないの? 意味を求めようとするから。
過去なんてね、他人からすれば、「気にするなとか」、「前向きに考えろ」、とか好き勝手なことが言えるわけで。その過去自体を本人がしっかり受け止めていたとしても必ずしも前向きに考えることなどできないのです。好き勝手なことを言えるのは、やはり他者の立場で話している人間が、過去に躓き続けているその人を理解し得ないからです。
しかしながら、よく似た経験をしてきた人なら別なのです。よく似た経験をした人なら少しだけであっても理解できる。「よく似た経験」、においては同じような考え方を持つ人間であることも重要です。つまりは同じ、というかよく似た立場でなおかつ価値観も近いものでないと理解しがたいということです。 そしてその躓いている人を理解するにあたりもうひとつ大きな問題があります。それは躓いている人自身が多くの場合、自分が過去を克服すること、つまりは過去と真正面から向き合い、受け入れることを拒んでいることにあります。そもそもどうして過去という壁にぶつかっているのか?ぶつかる理由は過去を拒否しているからだと考えられます。克服しようと表には見せていてもやっぱり向き合えない。そんな状態です。 いずれにしろ理解しあうことは非常に難しいんですけどね。別に過去と向き合うときだけじゃなくて、普段でもそうなんです。結局価値観とか、そういった感じ方を少しでも共有できるような間柄じゃないと無理なんですよ。無理と言い切るのは怖いので逃げます。
すっかり夏、という感じです。暑いです。
ところで2日、3日は試験です。はっきり言って面白くないのですが。ぜんぜん勉強していません。どれくらいできるか試す意味も込めて、ざっと受験してまいります。僕はロースクールには行かないだろうから試験の成績にはあまり神経質にならなくていいのです。 友人たちが、どれくらいできるのか、というかどれくらい勉強をしていらっしゃるのかは気になるところです。果たして結果はどうなることやら。 にしても図書館にいる人の数は尋常じゃないです。事情を知らなかったらびっくりしてしまうくらいです。図書館は勉強してもいい場所かもしれませんが、本を見に来て読む場所が少しもないとはどういうことだ・・・。ちょっとは考えてほしいっす。 どうでもいいですが、今テレビでジーコジャパンの敗因、および批判を繰り広げています。そんなの別にいいじゃないですか。結果論ですよ。そんなの。人によってスタイルが違うわけだから、今更ごちゃごちゃいっても仕方がないです。そんなに気になっていたのなら、もっと個人的に直接ジーコにでも訴えたらよかったものを。えらそーに、何を。実力的にも簡単に勝てる相手じゃなかったわけだし。 監督の存在意義、とか言っているけど。それはあなたの意見であって、ジーコは違う価値観を持っていたわけですよ。だから、批判しても仕方がないのです。これからの展望の方を気にするべきです。確かに過去を振り返ることは大切だけれども。それは必要あるごとに振り返ればいいのであって。振り返ってこれはだめだったとか言うのは不毛なわけですよ。まあ、多分彼はそれを楽しんでいると思うので、そのことに関しては別にいいですが。言ってしまえば、僕がこういっていることもどうでもいいわけですが。 |
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